原子力政策/原発事業~原子炉開発は9電力とメーカーがすべて一緒にやるべき
・原子力政策 2019年の再稼働はゼロ
・原発事業 原発共同事業化で提携へ
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▼高速増殖炉の開発が中止になると、日本がプルトニウムを抱える理由がなくなる
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日経新聞が報じたところによると、
2019年の国内原発再稼働数はゼロになる見通しが
明らかになったとのことです。
再稼働の審査に合格しても、地元の同意を得るための調整や
テロ対策などの工事に時間がかかっているもので、
温暖化対策やエネルギー戦略にも影響を及ぼしかねない状況です。
新たに再稼働できる見通しがたたないというだけでなく、
原子力規制委員会のテロ対策への対応などで、
すでに稼働済みの4基が停止するということですから、
非常に影響は大きいと思います。
かつて、日本の総発電量の約30%が原子力発電でしたが、
今では10%を割り込み、
来年はさらに半減する見通しになっています。
このような状況で日本にとって追い打ちをかけているのが、
フランスが日本と共同研究を進めていた高速炉実証炉
「アストリッド(ASTRID)」の開発中止を発表したことです。
高速増殖炉もんじゅの廃炉が決まり、
国内で高速増殖炉を稼働させることはできない日本にとって、
フランスとの共同プロジェクトは重要な意味を持っていました。
高速増殖炉のプロジェクトに関わっているという理由があれば、
日本は国内にプルトニウムを保有・保存する
大義名分が成り立ちます。
これは日本にとってメリットが大きく、
経産省の狙いもここにあったと私は見ています。
フランスがプロジェクトを中止した今、
日本がプルトニウムを抱える理由がないため、
大量のプルトニウムを保有していれば、
何かしらの疑念を抱かせることになってしまうでしょう。
これは、日本にとっては非常に厳しい状況です。
高速増殖炉のプロジェクトを中止とするという、
今回のフランスの原子力・代替エネルギー庁の発表は
的を射たものでした。
それは、今世界的にはプルトニウムが余っているのだから、
その技術は温存するにしても、今すぐに資金を投じて
無理にプロジェクトを進める必要はない、というものです。
使用した燃料以上の燃料を生み出すことができる
夢の原子炉と言われる高速増殖炉とは言え、これは正論です。
日本がこの意見をひっくり返すことは難しいと思います。
原子炉が停止していくと、
まず二酸化炭素排出量への影響が懸念されます。
近年、二酸化炭素排出量は大きく伸びることなく横ばい状態ですが、
この先はどうなるのか注意したいところです。
また、原子炉以外の発電になると、
鉱物性燃料すなわち化石燃料を輸入する必要が出てきます。
これは輸入の増加と貿易不均衡を招きますが、
もはやこの道を避けることはできないでしょう。
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▼原子炉開発には、9電力とメーカーがすべて一緒にやるべき
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東京電力ホールディングス、中部電力、
日立製作所、東芝は先月28日、
原子力発電事業の共同事業化に向けた基本合意書を
結んだと発表しました。
「原発の建設や運営、保守、廃炉を
効率的に実施する体制の構築」を目指す方針で、
共同出資会社の設立も検討するとのことです。
私は東日本大震災が発生した当時から、
今後日本で原子炉の開発を進めていくなら、
日本にある9つの電力会社がすべて一緒にやるべきだと
主張してきました。
そして電力会社だけでなく、
日立、東芝、三菱などのメーカーも共同で取り組むべきだと。
特に、輸出産業として維持したいのであれば、
このくらいの体制を整えられなければ無理だと思います。
正直言って、東京電力、中部電力、
日立、東芝が手を組むくらいでは、効果は薄いでしょう。
福島第一原発事故において
東京電力の対応は世界中から非難を浴びました。
しかし、東京電力のエンジニアスキル、
オペレーションレベルは日本では随一であり、
東京電力だったからあの事故は何とか収束したとも言えます。
もし、他の電力会社だったら
もっとひどいことになっていたと私は思います。
電力会社もメーカーもすべて一緒にやるべきです。
今はどのメーカーも沸騰水型炉(BWR)と
加圧水型炉(PWR)のいずれも開発していますし、
メーカーが一緒にやるメリットは大きいと思います。
また、今の原子炉は輸出した場合、
オペレーションも同時に依頼されますから、
メーカーだけでなく電力会社も一緒にやるメリットも
大きいはずです。
フランスは政府主導で
1つの原子力開発体制を確立しましたが、
それでもまだ頼りないと感じるところがあります。
今から振り返ってみると、
日本では9電力それぞれに任せていたというのは、
とんでもないことだと感じます。