奈良・天理の古墳から未知の石室を発見
2016/09/26
~これを読めばマーケットとそれを取り巻く国内外情勢のツボが分かる~
⇒“今日の焦点”はズバリ:
「奈良・天理の古墳から未知の石室を発見」です。
⇒その理由は……:
─「記述されていないことは存在しないことになる」
歴史の基本です。
─つまり”書かれていないこと“はイコール、不存在になるのです。
それだけ、「書くこと」には本質的な意味があります。
─逆に言えばこういうことです。
「存在することはイコール、書かれていることではない」と。
─考古学に発展の余地があるのはそのためです。
書かれていなければ、まだ「発見」と称することが出来るのです。
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奈良・天理の古墳で石室が新たに発見されました。
物部氏を葬ったのではないかと考えられています。
これまで発掘は行われていたはずなのです。
それなのになぜ「今」見つかったのかが重要です。
「不存在から存在へと変わる瞬間」が到来したということなのです。
“真実”が存在を許されることになったというわけなのです。
そのことの意味を考える必要があります。
つまり、表舞台から消し去られた物部という存在が何を意味するのか、です。
我が国に暮らす私たち日本人たちの魂の二重性。
それに深く関わっている事柄でもあります。
静謐と均整さ。
それと同時に躍動とバッカス。
後者がいよいよ存在を許され始めたのです。
その象徴が「葬られた物部」だからです。
さて、どうなるか。
・・・熟考した者のみに、次があります。