不祥事の続出により森喜朗元総理大臣に責任論が急浮上
2016/09/27
~これを読めばマーケットとそれを取り巻く国内外情勢のツボが分かる~
⇒“今日の焦点”はズバリ:
「不祥事の続出により森喜朗元総理大臣に責任論が急浮上」です。
⇒その理由は……:
─局面が変わる時。
「前の常識」に固執していた者たちはことごとく振り落されます。
─あらかじめ局面転換は察することが出来るのです。
それを誰よりも早く察するのが「統べる者」の務めです。
─ところが問題はその下のレヴェルの者たちなのです。
局面がもたらす果実に溺れてしまい、己の分を忘れます。
─そして想うようになるのです。
「自分こそが本当は”統べる者“なのだ」と。
─これが正に運の尽きです。
「想うこと」「察すること」だけを行う統べる者の逆鱗に触れます。
─そしてこうした「誤った番頭が無くても進む世界」がイメージされる。
その結果、我執した番頭格はある日突然、崩壊するのです。
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2020年東京夏季五輪が揺れ続けています。
「国立新競技場」に続き、「エンブレム」でも大失態となりました。
前代未聞の出来事なのです。
それを通じて明らかになったのは我が国における利権構造でした。
単に「よろしくやっていた者たち」が大勢巣食っていただけなのです。
これに盲従した私たち一般国民が踊らされていただけなのです。
「ただそれだけのこと」
素面に戻った瞬間、怒りがこみ上げてきます。
開会スピーチを行うという名誉に我執した森喜朗元総理大臣。
その末路は見え始めています。
最後の情けはただ一つ。
「自らの地位で譲ること」です。
そして同じことは、我が国の仮初の政治リーダーにも言えるのです。
放置していると・・・大変なことになります。
本当に、「大変なこと」になるのです。